細胞の形づくりのデータ駆動型研究

神経細胞の形態の極性化の定量数理モデル

解くべき問題

神経細胞は脳機能を実現する基本単位で、多くの突起を使って他の神経細胞と複雑なネットワークを構築します。樹状突起で入力を受け、軸索で出力します。

神経へ分化した直後の突起は区別がつきません。発達過程で、長い神経突起は軸索に、それ以外は樹状突起に運命決定されます。つまり、「形」がこの運命決定をします。

図1は培養マウス海馬神経の典型的な発達中の動きです。細胞体から物資が輸送される様子、輸送が到着すると神経突起が伸びる様子がよく分かります。

自然界は対称化・均一化していく(例:シャボン玉)のに対し、生物はエネルギーを使って非対称化・複雑化します。神経細胞はどのように1本だけの突起を伸ばすのでしょうか?どのような意思決定システムが存在するのでしょうか。

神経極性化は分子輸送や力学が絡む複雑な現象ですので、数理的に扱わなければ解釈が困難です。

【図1】マウス海馬の培養神経細胞。左下の突起が徐々に長くなっていく。(GFP-shootin1;稲垣研究室提供)

どう解くべきか

当時、定量性やメカノバイオロジーが今ほど流行っていませんでしたが、私達は神経極性化の原理を定式化する上で以下の点を考慮しました。

定量データ(画像、突起長の時系列、分子濃度時系列)を導入する
まず、「定量」は稲垣先生の当初からの要請でした。私も Hodgkin-Huxleyモデル のような定量モデルの研究がしたいと思っていました。数理モデルは悪い意味で「何でもできる」ので、生物学者が納得いく定量モデルが必要です。

生化学ではなく、力学過程が形を変える
次に、「分子」以外の「力」も「形」も、極性化の意思決定に関与すると考えました。神経極性化が突起の長さ依存することは昔から知られています(図2)。「分子が主で、全ての表現型が従」というのは思い込みです。神経細胞の活動電位生成は分子と膜電位の相互作用で実現します(Hodgkin & Huxley, J Physiol, 1952)。

既存の数理概念を安易に適用しない
最後に、数理を押し付けないことです。生物の意思決定といえば双安定システムが有名ですが、データを見れば違うことが分かります(図1参照)。何よりも、双安定と決めつけた途端、現実に盲目になり、未知原理の発見ができなくなります。数理モデルは、仮定を導入すれば何でもそれっぽくできてしまうので、気をつけなければなりません。

【図2】A, 長く残して突起を切ると、その突起は再び長くなる。B, 短く切ると、長くなる突起は確率的に選ばれる。Goslin & Banker, JCB, 1989

存在するはずの物理過程と実験データから必須条件を集めよう

細胞の変形は物理過程です。神経突起の伸縮においては、以下の現象が確実に存在します。

これをまとめると、「分子 → 力 → 形(長さ)→ 分子」といったマルチフィジクスループがあることが分かります(図4)。

【図3】細胞体、突起シャフト、突起先端におけるshootin1の空間分布の時間変化。突起先端(Growth cone)に集積したshootin1が時間とともに細胞体に戻る(Toriyama et al, Mol Syst Biol, 2010)。

【図4】神経突起の伸長における、分子 → 力 → 形(長さ)→ 分子の物理過程ループ。極性化とは結果ではなく、このループの一側面でしかない。

既知の法則とデータで極性化ができた

分子・力・形のループを定式化し、データでフィッティングすることで、神経極性化の定量モデルができました。図5上の動画は、神経突起が競合しながら伸縮し、1本が徐々にかつ確実に伸びていく様子が分かります。

図5下は、モデルシミュレーションで得られた「突起の長さ」と「突起先端のshootin1濃度」の典型的な時系列を示しています。Matlab のコード(githubで試すことができます。グラフの中心部分を見ると、4本の突起による競合がよく分かります。また、赤い突起が伸び始めたあとも、shootin1濃度は安定状態になることなく常に揺らいでいます(実験観察と同じ)。双安定のように何かが安定することはないのです。

この研究から言えることは、「意思決定を別の何か(分子とか)が行い、標的機能(極性化)が従属的に実行される」のではないということです。神経極性は、分子・力・形のループの中で発生する単なる一事象であって、特別な最終結果ではありません(図4)。神経の活動電位発生(Hodgkin-Huxleyモデル)も、分子と電位の間の相互作用の一側面です。

細胞の意思決定の原理には、いろいろな形があることが分かります。

【図5】神経極性化の定量モデルの動画(左:実際の神経、右:モデル)、および、モデルの突起長とshootin1濃度の時系列。

関連研究とその後の苦難

神経極性化の数理モデルはいくつか存在します。例えば、

などは、分子間相互作用による双安定を仮定したモデルですが、双安定の実験的証拠は未だ得られていません。また、力学的視点が欠落しています。1つ目の論文は、双安定仮定に加えて未知分子の存在を仮定しています。1個目の第一著者は双安定モデルを受け入れない私たちを一方的に憎み、学内外で激しい誹謗中傷や讒言を繰り返しました。科学者としての矜持に従うとどのような苦難をともなうかを示す事例として記録しておきます。

(文責:作村)